真夜中のコインランドリーって、何だか夢がある。日常に潜む非日常、非日常に潜む日常。そんな不思議な魅力で溢れている、気がする。
気がする、というのは、悠仁が真夜中にコインランドリーを訪れるのが初めてのことだったから、なんとなくボカしておいたに過ぎない。昼間であればどこかしらで店の前を通り過ぎるようなこともあったかもしれないが、ともかくも、昼と夜とで全く違う雰囲気を醸し出す無人のそこは、悠仁の好奇心を大層擽ったのだった。
そんな訳で、悠仁は結構、かなり、ワクワクしていた。暗闇にポツンと佇む一面のガラス張りと、そこから漏れる蛍光灯の光は中の様子をハッキリと明らかにしているというのに、それを確認せずに自動ドアの前へと歩を進めるくらいには、浮かれていたのである。
結果として、悠仁の期待に膨らんだ心は、ウィンと開いたドアの先に見つけた人影によって、一瞬にしてシュンと萎むこととなった。円を描きながら宙を舞い、地面に落ちてゆく風船の幻覚が見えるようであった。
自分と写し鏡の姿に、禍々しく走る黒い呪印。俺ってそんな顔出来るんだ、といっそ感心してしまう程の不遜な仏頂面を引っ提げて御座しまするは、呪いの王の名を冠する両面宿儺、その人だった。いや、正しくは人ではないのだが、見た目で言えば
とはいえ、身体に呪力がなくとも、その魂が邪悪の権化―― 呪いであることに変わりはない。反射的に拳を握って身構えた悠仁であったが、何故だか宿儺は何もしてこない。それどころか、こちらを一瞥もしないままに口を開いた。その視線の先には、グルグルと回る洗濯機。
「俺は今、虫の居所が酷く悪い。本来ならば、キサマはそこに立つことも許されず、無様に這い蹲って泣き喚き媚び諂うサマをこの俺に晒すべきなのだが、それをすればここに居座る時間が長引くことになるのもまた事実。故に同じ間に在ることを許す。精々感謝に咽び泣き喜びを享受することだな」
「言い過ぎじゃね?」
「黙れ虫」
なんという言い草だろうか。俺が虫なら同じ姿のお前も虫ではないのか。そんな言葉が口を出そうになるが、なんとか堪えた。正直、死ぬほどムカつくし、そもそもが嫌いなので、一発お見舞いして泣かせてやりたいところなのだが、悠仁もここに長居するのは本意ではないので我慢した。憤るよりも耐える方が格段に得意であった。
それでも隠しきれない溜息を吐きながら、ようやっと足を踏み入れたコインランドリーは、壁も床も、全てが白で形作られていた。壁を背に並べられたドラム式洗濯機は、少し大きなものと二段のものが並び、なんと靴用の洗濯機まで用意がある。それらにグルリと囲まれた中央に、ポツリと置かれた長椅子が一つ。それなりに広い空間だというのに、この長椅子は人ふたりが座るのがやっとというサイズ感で、なんだかチグハグだ。
そしてそのド真ん中に、堂々と宿儺が座っている。ガバリと開いた足についた肘の先で、手のひらに顔を預ける姿は「ヒマです」と言わんばかりであるのに、どこか毅然としていて、成る程これが王の佇まいであるかと思わなくもない、のだが。
「なんでオマエ裸なん?」
そう、素っ裸なのである。なんならフルチンである。自動ドアが開いた時から今に至るまで、ずっと。その身体は悠仁を模したものであるから見慣れてはいるのだが、白い蛍光灯の下でこうも堂々と照らされている自身のモノを見るのは、流石に恥ずかしい。気まずさから少し視線を逸らすと、視界の端で宿儺がこちらを向いたのを感じた。
「キサマ、男色の気があるのか? キショ」
ようやっと顔を向けたと思ったらこれである。その「本気で軽蔑しています」というのが滲み出て余りある声色に見事に煽られた悠仁は、ズカズカと宿儺の元に歩み寄り、その真横で声を荒げた。開かれた股間をビシリと指差しながら。
「ちっげーよバカ! 人のモン勝手に堂々と晒すなっつってんの! あと同性愛をキショいとか言うな! 時代は変わってンだよ!」
炎上すんぞ! という謎のツッコミを言い切る前に、悠仁はその場に尻餅をついた。宿儺が悠仁の足を、手本の如く、それは鮮やかに払ったのである。全く構えていなかった悠仁は、躱すことも去なすことも出来ずに尻を痛めるハメとなった。
「俺は男色を否定するつもりはない。その味も知っておる。先の言葉は、キサマ如き矮小な虫がこの俺に欲情するなどという不埒に対して、気色が悪いと言ったのだ。それと、口には気を付けろよ、小僧。確かにここからは一刻も早く出たいが、だからと言って無礼を許すほど寛容になるつもりもないぞ」
分かったか、ノロマ。そう言って小指で耳を掻く宿儺に、足払うんじゃねーよとか、虫じゃねーよとか、欲情してねーよとか、無礼でもねーよとか、味って……とか、言いたいことは山ほどあったが、あまりの怒りとほんのチミッとの戸惑いに、一周回って呆れてしまい、悠仁はまた一つ溜息を溢すに留まることとなった。
尻を摩りながら立ち上がる際にふと目についたのは、数ある洗濯機の中で一つだけ稼働しているもの。丁度宿儺の目の前にあるそれは、時折ドラムから白と藍を覗かせている。成る程、着ていたものを全てこの中に突っ込んだのか。素っ裸の理由は分かったが、しかし目に悪い(決して男色どうこうの話ではない)し、自分も服を洗濯してしまいたい。何か代わりに着れるものはないだろうかと部屋を見渡した悠仁は、入口と反対側の隅に真っ白なタンスを見つけた。壁に馴染みすぎているそれに近寄り取っ手を引くと、これまた白い……着物? ……浴衣? …………何かしらの和服が二枚、鎮座している。別に自分の分だけとったっていいのだが、なんだかそれはあまりに子供臭いというか、大人気ないというか……とにかく、なんとなく良い気がしないので、渋々、二枚ともを持ってまた長椅子へと戻った。
「……ン。とりあえず、コレ着とけば」
白い布をズイと差し出すと、何故か盛大に顔を顰められた。なけなしの優しさを反故にされた悠仁もまた、負けじと顔を顰める。が、どうやら宿儺の顰め面は悠仁にではなく、差し出した布に対するものらしい。暫しそれを見つめた後、「献上を許す」と言ってひったくった布を広げ始めた宿儺の指は少し冷たかったので、まあ、多少は肌寒かったのだろう。
それにしても、「許す」ってなんだ。何様のつもりだコイツ。悠仁はなんだか、小生意気さが全面に出だす小学校中学年くらいの子供を相手にしているような、そんな気分だった。いちいち取りあっていては埒が明かない、こちらが大人の対応をしてあげねば……といった具合である。呪力が無いとはいえ、あの両面宿儺に対してそんな舐めきった態度で挑む悠仁は、やはりイカれていた。
ひとまず自分も着ているものを洗ってしまおう、と服を脱ぎ出す悠仁の横で、宿儺は渡した布に腕だけを通して羽織るように着ていた。なんでだよ、ちゃんと着ろよ。着方分からんからコッソリ真似しようと思ってたのに。
そんな焦りがバレないように装いつつ、上から順に脱いでいき、次々とドラムに放り込む。着なれた高専の制服は、何回も穴だらけにして新調に新調を重ねたものなので、かなり綺麗な状態だ。……そういえば、コイツにも何回か破かれたな。
つい思い出してしまった苦い記憶に寄った眉根を指で解し、最後に下着を入れてドアを閉じた。
そこで初めて悠仁は自分が金銭の類を全く所持していないことに気付いたのだが、同時に洗濯機にコインの投函口がないことにも気付いた。試しにボタンを押してみるとごうごうと動きだしたので、どうやら金銭は必要ないらしい。なんと優しいことか!
このコインランドリーに足を踏み入れて以来、宿儺の理不尽な罵詈雑言ばかりを浴びせられていた悠仁は密かに感激したが、それも裸のままでは間抜けなだけである。いそいそと白い布を着込むが、やはり着方が分からない。再度宿儺を盗み見ても、相変わらず前を閉めずに羽織っているだけだ。仕方ないので、持ち得る少ない知識で着るしかない。
確か、左前が駄目なんだっけか。理由は知らんけど、駄目らしいってのは知ってる。左前ということは、左が上……? それが駄目ということは、右を上にすればいいのか? そもそもこの左右は自分から見ての話なのか、人から見ての話なのか? …………なんでもいいか。
細かいことを気にする性分でない悠仁は、取り敢えず自分から見て右側を上にして、腰元の帯を適当に縛った。最後に靴を専用の洗濯機に放り込もうと振り返ると、バチリと宿儺と目が合う。顎に手をあてニヤリと笑われては、もう嫌な予感しかしない。
「フム……少しキサマを安く見すぎていたようだ。ゾウリムシ程度の存在と思っていたが……喜べ。ワラジムシに昇格だ」
「え……ゾ……ワラ、どっちが大きかったっけ…………じゃねーわボケッ! 誰が微生物だ!」
持っていた靴をバシッと床に叩きつけると、宿儺はやけに機嫌よくケヒケヒと笑っていた。さてはコイツ、俺越しに漫画読んでやがったな。
「ナニ、着方間違ってる?」
「馬鹿め。褒めてやったのが分からんのか? それであっとるわ」
大層似合っておるぞ、と言って宿儺はまた笑い出す。
ずっと嘲るような笑い声しか聞いたことがなかったけれど、今はそこに純粋に面白がっているような感じも混じっていて、なんだか調子が狂ってしまう。コイツは呪力が無ければ――
笑い転げている宿儺を放って靴を洗濯に回し、また長椅子に戻る。いつまで笑ってんだコイツ。「ほんにマヌケ」じゃねーよ。
「詰めて。俺も座る」
「ハーー、ウケるな、小僧。キサマはつまらんが、その滑稽さは面白くはある。褒美だ、床に平伏すことを許そう」
「俺の話聞いてた⁉︎ 詰めろって言ってんの! 床なんか許可無くても勝手に座るわ!」
いい加減にしろ。俺は本来ボケ気質なんだ。ツッコミは疲れるし、そろそろレパートリーが尽きてきた。自身と釘崎と五条先生のボケを一身に浴びる伏黒が常にキレ気味だった理由が分かった気がする。まさか、こんなところで友人の気苦労を知ることになろうとは。今度会ったらボケは控えめにしておこうと誓う悠仁であった。
「その服見つけてやったンだから良いだろ。等価交換ってヤツよ」
「戯け。こんな布切れを献上しただけで、この両面宿儺の隣に座することが許されるとでも思っておるのか、塵が」
そう言って、座っているくせにこちらを見下すような視線を寄越す宿儺に、ついに悠仁の堪忍袋の緒がキレた。
「……もう知らん」
静かに呟いた悠仁は、宿儺の隣、一人分のスペースにしては心許ないそこに、ドカリと無理やり腰を下ろした。もういっそ、ここに居座る時間が伸びることなど厭わずに殴ってやろうかとも思ったが、流石にそれは無益にも程がある。ので、宿儺の意思を無視することに決めた。こちらはいちいち全部にお伺いを立ててやっていたというのに、この呪いはそれを当然のものとするに飽き足らず、薙ぎ払ってしまうのだから、たまったもんじゃない。
もうテコでも動かん。体の右側だけ俺の圧で痺れてしまえ。腕を組んで無駄に姿勢を正す悠仁の強い意思と、それに勝るとも劣らない強い体幹に盛大な舌打ちを吐いた宿儺は、結構、かなり、忌々しげに腰を横にずらした。それでも悠仁に与えられたスペースは半分よりも少なかったが、まあ、この呪いにしては上出来だろう。相変わらずの舐めきった思考で、悠仁は一旦は満足した。
洗濯機の稼働音だけが響くコインランドリーで、ふたりが交わす会話は特になかった。それが通常のふたりであり、むしろ先程までの会話量が異常だったのだ。
悠仁が宿儺の指を飲んでから高専に身を移すまでの間はやたらと喧しかった宿儺だが、言葉による懐柔は不可能と悟ったのか、それ以降は水を打ったように静かだった。会話らしい会話などしたことはない。だから、この静けさに気まずさを覚えることもない。が、無言に慣れてはいても暇には慣れていない悠仁は、暫くの後にチラと宿儺を盗み見た。なんてったって、千年間封印されていた呪いである。暇潰しの方法なんて知り尽くしているだろう。
しかし、そんな悠仁の期待は、ただひたすらに洗濯機を眺め続けるだけの宿儺に呆気なく裏切られてしまった。何が面白いのか、グルグルと回る洗濯機を、呆然とするでもなく、何かしらの意図を持って見つめている。悠仁も倣って同じものを見つめてみるが、たまに白と藍が姿を見せるだけで、それ以上でも以下でもない。
文明の利器が珍しいのだろうか。散々自身の裡から眺めていただろうに。そうは思うものの、四つの緋が見ているのはそんなものではない気がして、なんだか歯痒い。同じものを見ているはずなのに、全然違うものを見ているだなんて。きっと、それを教え合えたら楽しいのだろう。世界の広さが二倍になるんだから、全知全能だって夢じゃない。けど、コイツはきっと教えてなんかくれないし、コッチだって、別にわざわざ聞こうとは思わない。
それでも、束の間とは言え、今は同じ場所で、同じ椅子に、同じ方を見て座っているのだし。モノは試しと、悠仁も自分の服を洗っている洗濯機を暫く見つめてみたが、赤いパーカーが時折見え隠れするだけで、やはりつまらなかった。
グルグル、グルグル。もうどれだけ洗濯機は回り続けているのだろうか。
一度鳴りを潜めた暇が、再び頭をもたげ始めてしまった。一番手っ取り早い暇潰しの方法は宿儺と話すことなのだろうけど、さしもの悠仁でも、特級呪物との楽しい会話方法など知るはずがなかった。
それでもなんとか暇を潰そうと無い頭を捻った悠仁の努力だけは、褒められるべきであろう。……結果はともかく。
「オマエ、好きな食いモンとかあンの?」
「女子供の肉」
「……趣味は?」
「鏖殺」
「…………好きなタイプは⁉︎」
「信ずるに足るは己のみ」
今時お見合いでもしないようなありがちな質疑応答も、両面宿儺にかかれば見事に血に塗れる。
ほんとになんなんだコイツ。全くもって分かりあえん。むくれる悠仁であったが、まあ、そりゃそうだ。分かり合えたらふたりはもっと上手くやれてたし、こんなところで待ちぼうけを食らってもいない。
とはいえ、こちらはわざわざ目を見て話していた(しかも四つともをなんとか同時に見ようと頑張ってもいた)というのに、チラとも視線を寄越さない上に、答えが悉くクソとはどういう了見か。ハナから分かり合おうだなんてサラサラ思っちゃいないが、知れば知るほど遠くなるこの感覚は良いものではない。
……マジでコイツ嫌い。悠仁が何度目かになる結論を出した時、ピーッという機械音が室内に鳴り響いた。どうやら、悠仁の服の洗濯が終わったらしい。どういう仕組みか、靴も同じタイミングで洗い終わっている。立ち上がり、ゴキリと足腰を鳴らしつつ靴を回収し、洗濯機のドアを開ける。しっかり乾いた制服は特に匂いはせず、皺の一つも無かった。白い布を脱いで下から順に着ると、なんだか随分と久しぶりな感じがする。
はて、この洗濯機はどれだけグルグルと回っていたんだか。時計が無いので分からないが、きっとそれなりに長かった。
だというのに、悠仁よりも先にここにいた宿儺の服は、未だにグルグル回り続けている。どんだけ汚れてんだ。どうせ血とかなんだろうよ、そりゃ落ちにくいわな。
最後に渦巻きのボタンを留めて、靴を履くために長椅子に戻る。
「ハイ。これも着とけよ。ア、許すとかマジいらんからね」
そう言って差し出した脱ぎたての白い布を、またもや宿儺は嫌そうに眺め、結局は受け取った。寒いんなら前を閉めたらいいのに、そんなに着たくないのだろうか。風邪引いたら絶対笑ってやろ。
呪いに風邪もクソもないことを知らないまま密かにほくそ笑んだ悠仁は、椅子に腰を下ろして靴紐を締めてゆく。それが終わるタイミングで、見計らったように宿儺が口を開いた。
「用は済んだろう。早う去ね」
シッシ、と手で払う仕草付きである。その手のひら越しに、グルグルと回る白と藍がこちらを見ていた。
「……いや、オマエのが終わるまで待つわ」
「ハ? 要らん。目障りだ」
「オマエが要らんくても俺が要るんだよ」
見上げれば、四つの眼も探るようにこちらを見ていた。やはり同時に全てと視線を合わせるのは難しい。宿儺の服の洗濯が終わる頃には、出来るようになっているだろうか。
「……阿保もここまでくると天晴れだな。永劫回り続けるやもしれんぞ?」
それは常よりも、少しだけ固い声だった。気の所為かもしれない、と思うようなほんの少しの変化だったし、本当に気の所為だという可能性も大いにあるけれど。
悠仁には、そういう風に聞こえたのだ。
「別にいいよ。なんならそっちの方がいい。ふたりでずっとここにいようぜ」
「…………ウザ」
ハーー、と深々と吐かれた溜息が、ふたりの間に消えていく。何ともなしにその後を追うと、長椅子に置いた互いの手のひらが、やけに近くにあることに気付いた。指先を少し伸ばせば触れ合うその距離が、なんだか気持ち悪くて、ともすれば擽ったいような気もして、悠仁は自分の手のひらを強く握り締めた。
「オマエさ、その呪印消す為に体ごと洗濯機の中入った方がいいンじゃねーの?」
「死ね」
「もう死んでんだっつーの」